BISESとは
ビズの歴史 1998年
『常寂光寺の紅葉』
'97年11月、創刊以来、数々の傑作写真で私たちを興奮させてくれたアンドリュー・ローソンが初めて来日しました。「日本の庭を撮りたい」という彼を編集部は京都の常寂光寺に案内しました。すると、信じられないような奇跡が起きました。アンドリューの日本到着時にはまだ紅葉が始まっていなかったのに、撮影を予定したその日、常寂光寺の庭にはご住職もびっくりするほど見事な紅葉が広がっていたのです。しかも、いつのも年ならイチョウが散ってしまうころなのに、この年はイチョウの黄色とモミジの赤が同時でした。アンドリュー夫人のブライオニーは、あまりの美しさに声もなく涙を流すばかり。アンドリューはまだ暗いうちから庭に出て日の出を待ちました。ところが、そろそろというとき微風が庭に葉音を響かせ、「あ、風が出た!」と顔を曇らせるアンドリュー。しかし、その後風はやみ、快晴・無風という条件の中で完璧な日の出写真の撮影に成功。このときのアンドリューが撮影した写真は『常寂光寺の秋』というタイトルで'98年秋号の特集『日本』の冒頭を飾りました。『新たなる旅立ち』
『私の部屋 BISES』の婦人生活社からの発行は'98年秋号で終わりました。'99年からBISESはプレジデント社を発行元として新たな航海に乗り出すことになりました。BISESの歴史
- 1992年
- 『創刊』BISESは1992年5月、婦人生活社発行のインテリア誌『私の部屋』のリニューアル誌として創刊されました。誌名はBISESと書いて『私の部屋ビズ』と呼びました。 [ 続きを読む ]
- 1995年
- 『チャールズ皇太子の庭』BISESの歴史の中でも記念碑的な1冊が'95年の早春号です。『チャールズ皇太子の庭』という大特集が皇太子ご自身の同意を得て、この号に掲載されました。 [ 続きを読む ]
- 1996年
- 『ヘッセを読もう』'96年盛夏号の『庭仕事は瞑想である ヘルマン・ヘッセ、もうひとつの顔』は、『庭仕事の愉しみ』(岡田朝雄訳)というヘッセのエッセイ集を出版しようとしていた草思社との同時進行企画でした。
[ 続きを読む ]
- 1999年
- 『生まれ変わったBISES』新生BISESは、まず'99年5月に『緑と握手する家』という創刊準備号を発行。続いて7月には創刊号をナチュラリストの生活誌として発行しました。 [ 続きを読む ]