編集部ブログ
ガーデンツーリズム体験ツアー報告!!
「にいがた庭園街道」でディスカバーJAPAN
「にいがた庭園街道」とは、新潟県の代表的な日本庭園に、大地主(豪農)や寺院、町屋などの伝統建築が 集中している全長約150㎞の街道です。国土交通省が創設したガーデンツーリズム登録制度の第一回認定を受けた コースです。
ガーデンツーリズム体験ツアー報告「にいがた庭園街道」
※各写真は、1クリックで写真が拡大し、キャプションが出ます。
8月18日「にいがた庭園街道」No.1
酷暑の中、ガーデンツーリズム第一回認定の「にいがた庭園街道」を視察してきました。BISESのガーデン世界とは趣を変えて、庭は庭でも今回は伝統ある日本庭園をたっぷり体感できました。内容が濃いので、数回にわたってご報告します。ご案内は「にいがた庭園街道」の代表で、”千年鮭きっかわ”の社長である、吉川真嗣さんです。初日の舞台は新潟県村上市。ここは吉川夫妻の情熱で、まちづくりを大成功させたことで知られています。町屋、豪農、豪商の邸宅と日本庭園が堪能できる素晴らしい旅コースが用意されていました。まずは、吉川さんのご自宅兼お店からです。
8月21日「にいがた庭園街道」No.2
大庄屋、渡邊邸は主屋が国指定重要文化財で、庭園は国の名勝。傾きかけた日差しが奥座敷に届く5時近くに到着しました。渡邊家保存会の事務局長、井浦愼一郎さんのご案内は、郷土&文化財&渡邊家への愛に溢れ、その名調子に旅人の私は心地良く酔っぱらってしまったのでした。
主家は1817年に建てられ、廻遊式庭園は江戸中期に京都から遠州流庭師を招いて築かれたもの。昭和20年代に京都の古庭園の修復で名高い田中泰阿弥が携わり、現在の姿に。
大座敷に座して見る庭園の大パノラマは暑さも忘れる静謐さ。日本庭園は真夏でもみずみずしく、池を結界とした彼岸の立体感もバランスよく、揺るぎない美しさです。木々の緑が目に染み渡るよう。
主家は1817年に建てられ、廻遊式庭園は江戸中期に京都から遠州流庭師を招いて築かれたもの。昭和20年代に京都の古庭園の修復で名高い田中泰阿弥が携わり、現在の姿に。
大座敷に座して見る庭園の大パノラマは暑さも忘れる静謐さ。日本庭園は真夏でもみずみずしく、池を結界とした彼岸の立体感もバランスよく、揺るぎない美しさです。木々の緑が目に染み渡るよう。
8月22日「にいがた庭園街道」No.3
町づくりの第一歩に景観を整える仕事があります。村上では、「板一枚千円運動」を始めて、黒塀プロジェクトを立ち上げました。伝統的な町屋通りも、一歩奥はブロック塀。募金でこの町には450メートルもの黒塀が美しい景観を作るまでに。そして、緑3倍計画を実行して、”粋な黒塀みこしの松に”の歌通り、落ち着いた風景になりました。アルミサッシの町屋外観も昔の佇まいに改修し、ちょっと信じがたいまでの成功という結果に。くわしくは、No.1 でご紹介した本にあります。
お昼は、旅心をくすぐる店構えの鮭料理専門店、井筒屋へ。鮭料理には地酒の〆張鶴の大吟醸金ラベル! こんなに美味しいお昼は、本当に久しぶりでした。
お昼は、旅心をくすぐる店構えの鮭料理専門店、井筒屋へ。鮭料理には地酒の〆張鶴の大吟醸金ラベル! こんなに美味しいお昼は、本当に久しぶりでした。
8月24日「にいがた庭園街道」No.4
新潟市にある豪商、旧齋藤家別邸は、国指定名勝で、大正7年に造られました。池泉回遊式庭園と、近代和風建築の秀作と言われる開放的な建築は、細部まで意匠を尽くした豪華さを誇り、港町、商都新潟の繁栄ぶりを物語る文化遺産です。
ご案内くださったのは、髙橋千代子さん。吉川真嗣さんイチオシの名アテンダーです。
彼女の名刺には、美しい着物姿の写真と共に、活動として、庭屋一如研究会・庭園プレミアムガイドとあります。「にいがた庭園街道」には、本当に役者が揃っている!
ここの見所は、庭と建物を一体ととらえる”庭屋一如”の視点、これがキーワードです。庭を見る額縁の趣向をとくとご覧ください。
ご案内くださったのは、髙橋千代子さん。吉川真嗣さんイチオシの名アテンダーです。
彼女の名刺には、美しい着物姿の写真と共に、活動として、庭屋一如研究会・庭園プレミアムガイドとあります。「にいがた庭園街道」には、本当に役者が揃っている!
ここの見所は、庭と建物を一体ととらえる”庭屋一如”の視点、これがキーワードです。庭を見る額縁の趣向をとくとご覧ください。
8月27日「にいがた庭園街道」No.5
ちょっと村上の町歩きに戻ります。町屋の佇まいを楽しみながら歩くと、石仏、ポスター、看板、どれも一癖ありました。和菓子屋さんの店内では、箱階段のある茶の間まで見せてくださいました。郷土玩具や手作り作品を売るお店の帳場もまた趣たっぷり。八百万の神様を祀る神棚がたくさんあり、仏壇はお盆の準備も完了の様子。こじんまりしたお庭には、土蔵もありました。見るものいっぱいの面白い町ですね。
8月30日「にいがた庭園街道」No.6
このシリーズは今回の北方文化博物館(豪農の館・伊藤家本邸)で、まとめといたします。ここは明治22年完成の建築で、庭は昭和33年、田中泰阿弥によって完成されました。
大変話題の多い所で、戦後の農地改革の荒波をもろに受けながら、七代目当主の現代的な才覚で、これだけの日本の宝が全てGHQとの交渉を経て公に寄贈され、今日に残ったのです。具体的には、写真説明をご覧ください。
◉さて、新潟の大庭園、大邸宅を巡りながら何よりも感動した話は何かというと、それは、こうした文化的な大造作が豪農、豪商たちの領民たちへの富の還元として意図されたという事実でした。飢饉その他で、疲弊し、貧しさに喘ぐ人たちが多かった時期に、当主は建設予算も期限も定めず、営々とこの文化財レベルの創造作業に人々を従事させることで、雇用を生み出し、賃金を支払い続けたことに何より驚きました。この伊藤家では、庭に築山を造る際に、農民たちに椀一杯の土を持ってきてくれれば、同じ量の米と引き換えると言って、実行したそうです。今は、その築山の上に茶室が建っています。施しを受けない領民たちのプライドにも応えたとするのは穿ち過ぎでしょうか?
大変話題の多い所で、戦後の農地改革の荒波をもろに受けながら、七代目当主の現代的な才覚で、これだけの日本の宝が全てGHQとの交渉を経て公に寄贈され、今日に残ったのです。具体的には、写真説明をご覧ください。
◉さて、新潟の大庭園、大邸宅を巡りながら何よりも感動した話は何かというと、それは、こうした文化的な大造作が豪農、豪商たちの領民たちへの富の還元として意図されたという事実でした。飢饉その他で、疲弊し、貧しさに喘ぐ人たちが多かった時期に、当主は建設予算も期限も定めず、営々とこの文化財レベルの創造作業に人々を従事させることで、雇用を生み出し、賃金を支払い続けたことに何より驚きました。この伊藤家では、庭に築山を造る際に、農民たちに椀一杯の土を持ってきてくれれば、同じ量の米と引き換えると言って、実行したそうです。今は、その築山の上に茶室が建っています。施しを受けない領民たちのプライドにも応えたとするのは穿ち過ぎでしょうか?
にいがた庭園街道ネットワーク
●郷土を愛する県民が、隠れた美の世界を掘り起こし、
活力と誇りある新潟県をつくろうと立ち上げた取り組みです。
事務局:村上商工会議所 新潟県村上市小町4−10
電話:0254-53-4257
E-mail : cci@mu-cci.or.jp
活力と誇りある新潟県をつくろうと立ち上げた取り組みです。
事務局:村上商工会議所 新潟県村上市小町4−10
電話:0254-53-4257
E-mail : cci@mu-cci.or.jp